ガイドブックに載らない町・尾鷲(2)ヤーヤ祭り
2008.02.02 Sat
紀伊半島の南東に位置する、尾鷲。大都市圏からのアクセスが遠く、旅行ガイドに詳しい情報が載らない町です。
そんな町が一気に熱くなる「ヤーヤ祭り」が2月1日から行われています。1661年(寛文6年)に始まったという歴史があるにもかかわらず、「なんじゃそりゃ?」と言いたくなってしまう祭りの名前。「紀州の奇祭」として有名で、ホームページの動画を見てみると、若者から大人までが白い祭り装束で真剣におしくらまんじゅうをしていました。これはツッコミどころ満載ではないか?奇祭ウオッチャーとしては、どれだけ迫力があるものか、やはり生で見たい!アクセスが悪くても一度は行かないと何も語れない、ということで、行ってみることにしました。
この日は2日目です。午後7時から3カ所の会場で同時に行われます。地区ごとにわかれた、およそ30人の男たち(=練り子)同士が「練り」(激しいおしくらまんじゅう)を繰り広げます。「ヤーヤ」の由来は、戦国時代に武士がいくさで名乗りを上げるときの「やあやあ、我こそは...」の「やあやあ」だというのです。

祭りの前に、町の中心にある「まちかどHOTセンター」でオススメの場所を聞いておきました。道幅が狭く、練りの迫力を感じやすい北浦町の会場を薦められました。幅4mほどの道路に、丸太の足場がつくられていました。テレビの取材クルーが2組、新聞のカメラマンが2人、脚立を立てて場所取りをしていました。取材班が来るということは、場所選びとしては正解だったと言えるでしょう。祭りに行くと必ずといっていいほど目障りに動き回るカメラオヤジがほとんどいないのが良かったです。
会場の中央で、町の重鎮らしきオジサンがマイクで練り子をコントロールします。
「そろそろ、××町の衆がやってきます。みなさん、用意はいいですか〜」
「はいはい、ずーっと下がって。力を充分にためないと、良い練りにならないよ」
「じゃ、いくよ!『チョーサじゃ〜!』」
すると、ビジターとホームで道路の両端に分かれた練り子たちが呼応します。練り子の中にはかなり酔っぱらっている人もいました。「チョーサじゃ〜」と繰り返し叫びながら、じりじりと中央に寄っていきます。はやる気持ちを押さえきれない、という感じで、ハッピを着た制止役を振り切ろうとします。このへんの加減が難しそう。


「チョーサじゃ!」...リサーチャーやマーケッターが聞いたら青ざめるような言葉ですが、その由来には「私はことし丁歳(ちょうさい=15歳:ヤーヤ祭りに参加できる年齢)を迎えました」とする説と、「新年おめでとう(超歳:年越し)」とする説があるそうです。そういえば、姫路の魚吹八幡神社の秋まつりでも同じ言葉が使われていましたね。

両端からにじり寄ってきた練り子がぶつかると(このへんは相撲の立ち合いによく似てます)、しばらくおしくらまんじゅう。一斉に入り乱れながら「はいっ、はいっ」と声を合わせ、同じタイミングで小刻みにジャンプします。10秒〜30秒くらい続きます。仕切り役が鳴らす鐘の音で、練り子たちは分かれます。良い練りになるかどうかは、両側からぶつかるタイミング、力強さ、双方の息が合っているかどうかが、ということにかかっているようです。

「練り」は3度ほど行われると、次の練り子集団がやってきます。すると、さっきまでビジターだった練り子たちは、ホーム側に加わります。こうして、練りは時が経つほどに規模が大きくなっていきました。人数が多いほど、練りは迫力を増します。熱気も増して、練り子たちは汗でびっしょりになっていました。そういえば、地元の観光ガイドさんが「昔は8日間やって、毎日足がたたなくなるほどに練りを繰り返したな〜」などと話していました。

練りは午後8時15分に終了。合計何回あったかな? 練り子たちは列をなして漁港に向かいます。何が行われるかと思って見ていると、何人かが素っ裸で寒い海に飛び込んで行きました。うわー、めちゃめちゃ寒そう。心臓とか大丈夫なの?

これは、練り子グループの幹部たちが尾鷲神社に参拝する前に、身を清めるという意味があるのだそうです。飛び込む人数は、地区によって異なりました。3人のところもあれば、12人のところもありました。海から上がった彼らは、祭り装束に再び袖を通しながら、唇を紫色にして「あー、さぶっ!」と全身で震えていました。彼らの勇気に拍手です。

ヤーヤ祭り、神輿も山車もありませんが、港町のお祭りらしく、威勢が良くて、豪快で見応えがありました。間近で見られたのもよかった。アクセスの悪さを乗り越え、見に行った甲斐がありました。

