美しい!ニッポンの刺繍工芸@長艸刺繍工房
2007.10.27 Sat
日本人の多くが、経済成長や現代の便利な生活の中で忘れ去ってしまったことが、京都には残されているように思うことがあります。それは何かをハッキリということは難しいのですが、だからこそ京都に行くとホッとする気分になったり、厳粛な気持ちになったりするのだと思います。この日、伝統未来塾の「長艸刺繍工房の世界」の授業にも、その「忘れ去ってしまった何か」の断片があったように思います。

長艸(ながくさ)刺繍工房は、京都・西陣でいま最も旬な京刺繍の工房です。京刺繍は、能装束や、懸装品、緞帳、調度などを華やかに飾るものですが、長艸刺繍工房は和装の範囲を超えて、2002年にはパリコレのオートクチュールに登場するなど、ヨーロッパにも注目されています。今回の授業では、ご主人の長艸敏明さんに、現在の活動と、京刺繍の世界の一端をうかがいました。以下、授業のメモです。
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現在の仕事の柱は、三つ。
1)国宝「天寿国繍帳」の修復
「天寿国繍帳」は日本最古の刺繍として知られます。飛鳥時代につくられた旧繍帳と、鎌倉時代に模造した新繍帳を、江戸時代に合わせて1面の繍帳にしたものです。聖徳太子が往生した天寿国の様子を表現したものです。興味深いのは、飛鳥時代の刺繍の方が、鎌倉時代のものよりも、色が鮮明に残っていることです。これは、飛鳥時代の技術は渡来人が持ち込んだもので、強い撚り糸で刺繍されているのに対して、鎌倉時代は刺繍が日本で浸透した結果、平糸で刺繍したほうが色が鮮やかであることを重視した形になっています。鎌倉時代の刺繍は糸が腐食することを考えられていないため、結果として強い糸が使われた飛鳥時代の刺繍の方が鮮やかに残っているのです。
このように、工芸は出来上がったときを頂点として、時の経過とともに劣化していくものです。これに対して、民芸は使うほどに味が出てきます。「馴染む」という言葉の方がピッタリくるかもしれません。
復元にあたっては、刺繍の技術だけでなく、素材のことを知っていなくてはいけません。もちろん、繍帳ができた当時の歴史や、完成に至る経緯なども知っていないといけない。
2)小袖の復元
刺繍が面白いのは、室町時代の終わりから江戸にかけて。慶長・寛文・元禄時代が、衣装としては面白い。桃山時代の刺繍を研究すると、生地の中に和紙が入っていることもあるのです。慶長時代の刺繍には撚り糸が残っています。
刺繍は、世界中にそれぞれの形で残る工芸です。日本の刺繍が、諸外国と異なることは、大まかなところと細かなところが同時に発揮されることです。例えば、中国の刺繍なら、繊細なのはどこまでも繊細。大ざっぱなのは最初から最後まで大ざっぱ。日本のは、バランスがいいですね。細やかな国民性なのでしょうか。

3)能装束のひとつ、かずら帯の制作
はちまきのように、額に巻いて、後ろに長く垂らす帯です。帯に描かれる刺繍文様の数は、着物と同等か、それ以上になることもあります。刺繍文様ひとつ仕上げるのに、1日かかるものもあります。胴箔の上に刺繍をしたり、文様ひとつ1日1万円だと計算すると...かずら帯は数十万円することもしょっちゅうです。
刺繍は「主」ではなくて「従」です。刺繍そのものをすごいものにすることはなくて、着る人に合わせて、その人がさらに映えるようなものをつくります。それも、お客様の想像を超える、よいものをつくらなくてはいけません。長艸は卸や問屋を経由せずに、お客様と直接話しながら、商品を制作・納品・アフターケアまで行います。
お客さんの想像を超えるためには、「箱」(引き出し)をいっぱい持っていなくてはいけません。職人は絵が描けなくてはいけません。糸や布のことだけでなく、紙や木のことも知らなくてはいけない。能装束をつくるなら、その装束がどのような場面で使われて、役者がどのような動きをするかを知っていないと、いいものはつくれません。いろいろな勉強を重ねなくてはいけないので、職人が一人前になるには、若いうちに始めないとダメですね。大成するのは「箱」をたくさん持とうとした人です。言われたことだけをやってきた人間とは大きな差が出てきます。最近は、男性よりも女性の方が忍耐力があって、いい職人になりますね。
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作り手の気概が伝わってくる授業でした。工房の中にあった刺繍は、大胆な構図と鮮やかな色が印象に残ります。冒頭で述べた日本人が忘れてしまったことの断片は、卸や問屋を介在させない勇気、幅広い教養と知識を活かした商品、顧客との長い付き合いにみられるように思いました。



















































